十で神童、二十歳を過ぎても輝く瞳 万能感を持ち続ける子?限界を知る子?

10年以上も成長を見守ることができている生徒さんが複数います。
中には15年近くになる生徒さんも。

勤務していた以前の教室からずっと通ってくださっています、ありがたいです。


3歳までは皆天才!
6歳頃になると 違い(個性)が浮き彫りに。
10歳頃には「メジャーリーガーは無理かな?」「フィールズ賞受賞は無理かも」「吉本で活躍するのは無理そう」などと、選択肢が狭まります。
12歳、15歳、18歳…と、「成長」とよばれている子育ての時期、実際はすごい勢いで親子ともに「選択肢の狭まり」実感することになります。


親は実は最初から何となくわかっています、例えば、我が子は世界一のバレエダンサーにはなれないだろうな〜と。


しかし子ども本人は、自分の可能性が狭まるたびに、大なり小なりショックを受けています。
「いや、私にはできるはず!今は子どもだから出来ないけど、大きくなったらできるようになる!」と心のどこかで信じています。


中には、可能性の狭まりを全く気にせずにどんどんチャレンジし続ける子もいます。一方、毎回ショックを受け自分の可能性を信じられなくなる子もいます。


①気にせずチャレンジし続ける子(万能感を持ち続ける子)
②ショックを受け可能性を信じられなくなる子(限界を知る子)


みなさん、どちらのパターンを好ましいと感じられますか?


一般的には①を好ましい思われるのではないでしょうか?
私もそう思っていました、①の方が何となく良いのでは?と。
ただ、当然のことながら、① or ②の一方しか持っていないという子はいません。
皆両方持っています。


幼い頃は①がほとんどで、いつの頃からか②が増えていく、同一人物の中で①②の量が変化していくのではないでしょうか?
大体の子が、5歳から15歳の間に②メインに移行しているようです。
親としては我が子には出来るだけ①メインの期間を長く持って欲しいと願います。
ただ、ほぼ①の状態を一生続けられる人はいません。
誰しも一度は②メインに移行する時期がきます。


長年①メインで来られた人にとってはこの移行が本当に難しい、対処を誤ると「十で神童十五で才子二十歳を過ぎればただの人」となってしまいます。
一方、早くに②メインとなった子ども達の中には、次の段階である③に向けて歩みだしている人も出てきます。


③狭まった選択肢の中からもキラリと輝く自分の才能を見つけ出し、それを必死に守り磨いていく、その段階に中学生で取組み始める人が出てきます。
高校入学前に、すでに一つ目のアイデンティティーを完成させていく作業に取り掛かっています。


①から②への移行が遅かった子どもの場合、なかなか②の自分を受け入れられず、苦しみ、時間がかかり、③の作業が大人になってから、あるいは老齢にさしかかってからという人も現状少なくないようです。


日本の教育システムは②に早くなった人への手当ては手厚いように思います。
一方、①の子ども達は、褒めてチャンスを与えてさえいれば、放っておいても①のままでいてくれると信じられているのか、手当ての対象とはなりにくいです。
ですが①のまま成人を迎えられる人が果たしてどれだけいるのでしょうか?
殆どの人が「二十歳を過ぎればただの人」と評されてしまいます。
それならば、早くに②に移行した方が良いのでしょうか?
それもやはり違うと思います。


早くに②メインになり③の段階に入る子どもも素敵ですが、やはり長く①でいられる人は貴重な人材のように感じます。


問題は、①から②への移行が、年齢が高くなればなるほど難しくなる、子どもに与えるダメージが大きくなる、このことに人々が気づいていない、ここにあると思います。
この問題に気付き、対処し、この問題を潰すことができれば「二十歳を過ぎてもお目々キラキラ」人材を育てることができるのではと考えます。


私の現時点での考えをまとめると次のようになります。
・少しでも長く①であって欲しい。
・しかしながら②は必ずやってくる(まずは親子とも②が来ることを自覚しておく)。
・②の自分も冷静に受け止められるように準備しておく(苦手分野にもコツコツと取り組む必要性を心に刻み込む!できれば苦手分野にコツコツ取り組む習慣も身につけておく)
・自分にしかない強みを探し、③へと力強く歩み出す!


このような育ちをサポートできる教育の場を作りたいです。


「十で神童、二十歳になっても輝く瞳」
この成長を目標に、幼少時からの質の良い教育の場を提供していきたい、そのような場が必須であると考えています。